大正11年5月に民営「あらかわ遊園」は開園されます。
当時の案内状には、
東京に最も近き避暑地
山水木石園内貳萬坪完備
暑さ知らずの仙境
凉味萬斛、風景絶景
有名なるあら川大瀧あり
安全飛行塔數十臺建設
とあり、また『新興の尾久町』(下谷新聞北豊島支社、大正12年)より引用しますが、
大正十一年には、広岡勘兵衛が船方の煉瓦工場を廃して、荒川遊園を開園した。
近くに住む石神寅松氏は荒川遊園について「道路境木材塀は全部煉瓦塀にして、南側一帯は土盛して滝も造り、水は井戸を掘った。
お宮(稲荷様)の池は広く、貸しボートを浮かべ、水は荒川の水を利用した由。
開園当日は、地元町会(小橋町会)として役員総出で交通整理その他を手伝った。
花火も盛んに上げ、園内の滝の前では仕掛け花火を上げた。
特別大玉を上げたが、ここでは危険であるため、尾久西校正門西方にある野球場で二尺玉とか三尺玉を打ち上げた。
とあり、区民の憩いの場として愛されていたことが伺えます。
しかし、第二次世界大戦により廃園されてしまうのです。
昭和25年に「区営あらかわ遊園」として、再開園されることとなり、以後現在まで都内唯一の公営遊園地として現在でも区民に愛され続けています。